ちょっと前にツイッターで「男性脳と女性脳の違い」についてつぶやいてたら、「男性とか女性とか分けることが女性軽視ですムキー!」というツッコミが、何故か私に直接来ないで別の人にぶつけてきたという話を、ぶつけられた相手から聞いたという何かでございます。
……文句言うなら本人に、というか、最低限無関係な人間は巻き込むなよ……。

それはともかく、男性脳と女性脳っていうネーミングは「こういう考え方をする人は男性(女性)に多い」くらいの意味しかないわけで、 別にどっちが優れてるというものではないんだがねえ。
(ついでに言うと別に私が名付けたわけでもないわけで)
とはいえ、こういう考えがフェミニスト()な方々には許せない!と言われるとアレなので、このへん踏まえた話をする時には自分で作った名称で呼んでみようか。

というところまでが枕(ぇ?)

児童ポルノ法改正案にしろ、エロのウンタラにしろ、男女の温度差が激しいという意見をよく聞きます。
これって、別に男女という訳じゃなくて、考え方の構造の差異らしい。
「攻めの考え方」と「守りの考え方」と名前をつけてどう違うのかを明文化してみようという試み。
なお、「攻めの反対は守りじゃなくて受けだろう!」という定番ネタは今回ノーサンキューです(ぁ。

※ちなみに「攻め」が男性脳、「守り」が女性脳だったりします。このへん適宜読み替えてくださいな。

 

何かルールがあったとする。
そういう時にどういう行動をするか。

・ルールの落とし穴を突くのが「攻め」
・ルールを守るのが「守り」
・ルールに不備があるだけで、ルールそのものは破ってないだろ!と主張するのが「攻め」
・そういう攻めに対し、ルール守ってないから権力に訴えます!っていうのが「守り」

超大雑把に言うとそんな感じ。
ついでに言うと、「攻め」はルールなんかないほうがのびのびと出来るんだけど、ルールは基本的に守ろうとは思うのだ。ただ、そのルールが納得出来ないときには徹底的に逆らうし、不備な点が見つかると「ルール破ってないからこれは正義!」と宣言する傾向にある。
逆に「守り」は、ルールを守るがゆえに、ルールに規定されていないことをやるのが怖い。ルールを少しでもはみ出すと怒られると思ってる。なので、怒られない範囲=ルールはきっちり決まってるほうがのびのびと出来る。ゆえに、他人がルール破りをしてなおかつそいつが利益を得ていると「ずるい」と思い、ルール破りを批判し、数と権力でフルボッコしようとする。

さて問題。どっちの考え方がいいのか?

……個人的な意見だと、どっちもどっちである。いや、そりゃそうでしょう。ここで上げた例題は極端ですもの。ここまで極端な実例は……あるな(!)。あるんだけど、もう少しそのへんうまいことやれへんの?と思うのが私だったりする。 

いやさ。ルールったってピンからキリまであるわけで。
全部のルール・法律がフリーになったら怖いですよ。法律があるゆえに守られていることも知っているし。
でも、おかしな法律もあるよなーと思う。あと、地域のルールとかもある。それはどこまで守るべきなのか。必ず守らないといけないのか。
……それを自分で考えて、守らなかった場合周囲の人に迷惑がかからないか考えて、その上で何かあった時に自分で責任取れると判断したら、「おかしくないか?」と問題提起するのは悪く無いと思うのよ。慣習になってるけど、守らなかったとしても何も起きない、むしろ別の問題が解消されると思ったら思い切って破るのもありだよなーと思うのよ。
……自分で責任を取る。それが自由だと思うしね。責任とらんけど破るのヒャッホーってやつはさすがにタヒね!とか思いますが。

それとは別に、もうひとつ考え方の基準点があって。
2~3日先、1ヶ月先を考えて動く「短期脳」、1年2年、10年20年先を考えて動く「長期脳」。
これもどちらがいいってもんじゃない。一般的に短期脳の人が多いと言われてて、そりゃあ明日のごはんのことを考えなきゃ生きていけないわけで、それ自体は必要なんだけど、例えば今生きるために木を切り倒したら未来はどうなった?という話。かと言って長期脳ならいいってもんじゃない。20年先を考えて動いたとしても、そもそも明日の食べるものがなければ20年先まで生きられるわけがない。それがたとえ素晴らしい考え方だったとしても。

このへんの組み合わせで、その人の考え方や物の見方の基準点って決まってくると思うのです。
あ、もちろんだけど、同じ組み合わせの考えだからといっても、同じ結論が出てくるとは限らない。そこまで脳の仕組みは単純じゃない。実際に出るその人の結論というものは、これら基準点をベースに、それまでの経験なんかも加味されるわけ。

何が言いたいかというと、対話したい相手の「考えの基準点」を把握した上で話をしないと、いくら話し合っても分かり合えることはないんじゃないかなあと思うのです。
もちろん、考えの基準点を把握した所で、分かり合えないことは多い。とっても残念なんだけど、非常に多い。趣味嗜好など、譲れない所でかち合うと、まず無理。
なんだけど、さ。
「ルールを守るのが重要!」って相手に「ルールがおかしいんだ!オレは悪くない」といった所で通じなかったりするわけですよ。

……じゃあどういうふうに説得(?)すればいいんだよってのは、相手次第なのが非常にめんどくさく、そのめんどくささが人間関係であり。
コミュニケーション難しいなあと思う話だったりしまする。 






……私、いろんな人と話してて、いろんな考えがあるなあと思い、基本的に相手の考えを全否定しないように心がけているのですが、とにかく誰か(相手が私とは限らない)に対しひたすら批判のみして代案を出さない、批判内容がどういいように解釈しても私怨にしか聞こえないっていう相手に対しては、さすがに全否定したいなあ、そのほうが私の心の平穏が保てたりするもんと思ったりしております。
うん。いいこと言ってる!んだけど、私怨disばかりの相手って、ホント聞いてて辛いのよ。本人全く気づいてないんだろうなあと思うから余計にね。そこまで私怨に取り付かれてるとさ、なんつうか哀れっていうか、思い込み怖いなあと思うのですよ。
攻め脳的私怨批判も、受け脳的私怨批判も、どっちも構造が見えているからどこをどうほぐしていけば解決するかってわかってるんだけど、ぶっちゃけ関わったら私だけが死ぬよなあ(感謝されることもまずないだろうし)と思う程度に怖い。


……こういう時、相手の考えやココロや心情や何もかもが感じられないお馬鹿な人間になりたいと本気で思う。