コミケお疲れ様でした。私はコミケ後、相方の実家である青森県津軽地方に行って玉川温泉で静養してたら風邪なのか湯あたりなのか微熱が引きませんHAHAHA!(死
…今、帰宅すべく車の中ですはい。

さて。
松江の教育委員会で「はだしのゲン」が閉架扱いになったそうで。
うん、まあ。はだしのゲンは悲惨な戦争体験を伝える漫画ゆえに(そしてあらゆる意味において人間の愚かさを書き込んだ漫画ゆえに)、トラウマになる!という意見はわかる。
(もっとも、抗議した人物は自分の思想とは真逆な観点で書かれていて、しかも真逆な思想の持ち主がオススメ!してるからってのが本当の理由で、それを隠すために「残虐」「教育に悪い」と言ってるのでどうしようもないんだがなあ)


はだしのゲンについてはなぜかうちに4巻までしかなくて(ゲン一家が親戚の家を追い出されたとこまで)、ゆえにそれ以降の話は高校生になってから読んだ口なのですが、確かに自宅にあった4巻までは怖かったというのは覚えてます。ただ、それ以上に人間って身勝手だよなあの印象が強かったんだよね、私。
(後年最後まで読んだ時に、人間の身勝手さだけじゃなく希望の光を感じたわけだが)
まあ、あれ読んで気持ち悪くなったとかトラウマになったって人は多いと思います。それは否定しないけど、だからと言って子供達に読ませないは違うんじゃないかなあと思うのです。
個人的に、トラウマを絶対悪とする今の世の中に疑問があるともいう。生きることが難しくなるレベルなのは…両立できる(NOT克服)と言いよねえとは思いつつもそれってきついのは知ってるので、そういうのはない方がいいよねえとは言いますが。なんつーか、あれを読んで気持ち悪い、戦争って怖い!とトラウマになったからこそ、今の若者は戦争反対!って言い続けられるんじゃないかなあ。

それとは別に、悪書とレッテル貼られたものを読ませないことは子供にとって本当にいいことなのかなあという考えもある。
そもそも悪書ってなに?って話もあるんだけど。
(うちの両親はおたく活動含め否定しなかった(成績下がったら禁止!とは言われたけど)っていう特殊事情はどうしてもあるんだろうが)
エロもそうなんだけど、子供の時点である程度は清濁合わせて飲んでおかないと、大人になった時にさらにダメな人間になると思うんだよね。大人になってからそういうのを読んでも頭が硬くなってるから必ずしも全否定だけで終わるケースも多いし。

本当は、子供に有害!と言って遠ざけるんじゃなくて、親と一緒に読んで子供の苦悩を一緒に考え、語り合うってことが重要なんだと思うんだ。怖いと思う子供に「今は大丈夫だよ」と抱きしめてあげるとか、何でこんな怖いことが起きたのか一緒に調べるとか。怖いという子供に「怖かったよね」と親が同意してあげるだけでも、子供には重要だと思うんだけどなあ。
最近はそういう「これはダメだってことを書いたものだよ」みたいに親子で考える機会が減ってるんだよなあと教育機関にほんの少しだけ関わった時に感じたりしたのです。子供だけで考えると暴走しやすいから、大人と一緒に考える必要があるんだけど、最近の大人はめんどくさいからなのか忙しいからなのか、一緒に考えることを放棄し、子供達のSOSを無視し、ついには「一緒に考えるべき教材」を子供達の手の届かないところにおいて考えないようにしてるよなーと感じます。

表現の自由とは別の次元で、子供にとって本当にそれが素晴らしい教育なのかなあと思うのよね。未来が「臭いものに蓋」でいいのかなと思うのよね。

今の世の中、「悪」とみなしたら、それ以前の評価とか関係なく「悪である」と決めつける人が多いのかもしれない。これって「一度すばらしい!とみなすとそれまでの悪評価を忘れて手放しで歓迎する」傾向でもあるので一概に否定しにくいんだけど。
なんだろう。なんかうまい具合に両立できんかなあと思うのですよ。
自分が見ない権利は必要だし、無理に自分に読ませない権利は行使してもいいんだけど、他人が読みたい権利は(たとえ子供であったとしても)侵害しちゃいかんと思うんだよなあ、ましてや行政がそれを決めて押し付けるのは未来の子供達にとって良くないんだよなあと私は思うのです。

そんなことを自然豊かな国道7号線を移動しつつ、早く熱が下がらないかなあと本気で思うのが人間らしい身勝手さだと思うんだ!(台無し