あなたの好きな作品を思い浮かべてください。
なんだったら、好きなカップリングを思い浮かべてもいいです。

思い浮かべましたね?

その状態で、赤の他人に
「この作品好きなやつ頭おかしい!」
「このカップリング好きはキモいやつしかいない!」
とか言われたとしましょう。

さて、あなたはそれでもその作品を好きで居続けられるでしょうか?
そのカップリングを愛し続けられるでしょうか?


……同人ブログゆえわかり易い例を上げましたが、「好きな作品」「好きなカップリング」は適宜変えてください。
まあ、簡単に言うと、赤の他人に趣味嗜好をけなされてまで、人はそれを貫き通せるのかという話。

 

……結論から言うと、人によりけりとはいえ、批判されてまで続けられる人って少ないと思うのよね。
そして、批判が嫌なゆえにそういう世界から逃げ出す人って多いと思うの。
そういう人に対して追い打ちをかけて[逃げ出した」「砂かけ」とかいう人もいるけど、まあ、そういう世界でのうのうと暮らしてられる強心臓の持ち主は少ないと思います。

私なんかは頭がオカシイので(ぁ、「アンチも使いよう」「アンチのフリした宣伝マンお疲れ様です!」と考えることによってアンチを放置したり、アンチを煽ったりしておりますが(そういうこと言うと「後出し釣り宣言」と言われるんだけど、そんなもん、宣伝マンとして「使う」からには釣り宣言は後にしないと使いものにならないじゃないですか!知らず知らずのうちに口撃力を利用するあくどい方法だし)、普通の人はそういうことできないし、しないほうがいいと思います。ハイ。

……いや、私自身も思いますよ。
こういうことやってるから知らない人に「頭おかしい人」と思われてるんだろうなーと。
実際、即売会で「初めてお会いしましたが、思った以上に普通の人でびっくりしました」と言われることはあります。……たまに普通じゃない時があるので、それは運が良かっただけかもしれませんが。

そして、他人に罵倒されるってのはリアルでも辛いですが、ネット上でも辛さは変わらないものなのです。しかも匿名で罵られるのは、相手がわからないだけに不安になったりするものです。実は親友と思ってる人が匿名で罵ってるかも!とか思ったりしますしね。
(表向きなかよし!を装っていた人が裏で悪口三昧の例は私自身も受けておりますし、そういうことをされてる人の相談も受けたりしております……)

人って匿名とか相手にばれない環境の時に本心が出やすい生き物かなーと考えておりますが。
それはそれとして、誰かにうらまれてまで続ける趣味じゃないよね、同人にしろ、ブログにしろ、Twitterにしろとは思います。そういうのが嫌でやめちゃう人に対しては、仕方ないよねと思います。
だって誰だって、自分のこと批判されるのに耐えられるわけじゃないもの。
あんたバカにされてるのよ!って言われて、それでもその場にとどまり続けるのって難しいもん。他に何か理由があれば耐えられるでしょうけど、そうじゃなきゃ無理。

……とはいえ、罵倒せずにはいられないということはあると思います。
不満があるということは、生きていると普通にあると思います。
それを言うな、ということはできませんし、止める権利は誰にもないのよね。

特にネットによるテキスト感情表現というのは難しいもの。文章なんてだれでも書けるだろ!と思ってる人の文章ほど、単語を並べただけになりがちだったりします。そして、意外とそういう「テキストによる感情表現」を学ぶ場所ってないんだよね。
あ、えっと。「お前も人のことは言えない!」というツッコミは甘んじで受けます。こういう表現方法は日々勉強だと思うので。相手が特定されてると、その人に合わせた表現をすればいいんでしょうが、こういう「誰もが読めるブログ」だと、全員が理解できるような書き方っていうのはものすごい難しいんだよなと思ってます。なので、ある程度が誤読が発生したり、誤解を生じたりしても仕方ないなと諦めております。その結果、アンチ的に罵倒されるのは仕方ないというか、こういうブログの宿命だと思っています。開き直ってるともいう。

ただ、私がそうだからといって、他の人まで我慢を強いるのは違うと思うのです。
嫌になったらネットとか見ないというのも、精神衛生上必要だと思いますし、ネット上の友だち関係なんかが煩わしいと思ったらそういうふうに切り捨てていいと思うのです。同人活動も嫌だと思ったらやめていいし、それに理由をいう必要もない。言い訳もいらない。
「こんな私をいじめる世界なんかより、私を褒めてくれる世界で生きたい!」 
でいいと思うのです。

そして、あいつムカつく!っていうのも貯めこまないほうがいいと思うのです。そういう怒りを貯めこむと寿命が縮むと昨日TVでやってたし(理由はそこなのか)。
ただ、そういうのは「誰かに見られるところ」でやらないほうがいいかなとオババは思います。
もちろん、「その怒りを誰かに共感してもらうことによって得られる幸福」があるとは思います。そういうのは知ってる。同じ怒りを感じてる人がいる!ってだけで、心が強くなれる気がするよ♪だし、仲間がいっぱいいると強くなった気がするしね。だからって、その感じる強さは「虚構」だと気づいたほうがいいと思うのです。昨日は仲間だと思っていた相手が明日には裏切るということもあるもの。そういう意味で、怒りによって得られる力は「虚構」だと思うのです。このへんは、一度経験しないと理解できないかもしれない。理解できない人は「そういう考えもあるんだ」くらいでいいです。 

人を否定する力「アンチ力」ってのは、人の命を奪うこともあるよってことは頭においてほしいなと思います。
その上で他人を叩かずにはいられないという人は、そういうのに耐えられる人を選ぶといいかなと思います。誰かれ構わず叩きまくって、いつの間にか殺人罪で訴えられたりしない前に。己が生み出した怒りの力に取り込まれて、自分自身を滅ぼしてしまう前に。




……うん。
他人に人格否定されただけで、自分の命を絶ってしまった。それもネットで悪口言われただけでって人を知らないわけじゃないのでね。
怒りに任せて行動した結果、そのままお縄になった人を知らないわけじゃないのでね。
自分の親友かと言われるとそういうわけじゃないんだけど、そういう話聞くのは切ないのさ。友人の知り合いレベルとかだと結構いたりするので。