見えない障害バッチ運動」ってものがあります。
内臓疾患とか、難病とか、発達障害とか。こういうのって理解されないんだよねっていうのは、ものすごく感じています。自分自身が「見えない障害持ち」だから。

※線維筋痛症って話は以前したんですが、いくつか病気持ちでして。そのうちひとつは特定疾患に当たるものになります。もっとも、特定疾患だからといっても「一生治らない」だけであって、取り敢えず普通に生活できる程度にはそっちの病状は深刻じゃないのですが。

見た目で明らかにわかる障害に対し、見えない障害、障害者手帳の範囲に入りにくい程度の障害って、福祉の恩恵をうけることもないし、病気持ちだよ!と言ってもあんまり信じてもらえないのよな。
といいつつも、あまりにも病人扱いされるのもちょっと複雑だって程度には、パッと見元気なんですよね、私。

 


病人とか、障害者とかって、どうも「寝たきり」「普通の生活するのに困難である」というイメージが有るようです。
そのイメージで行くと、私なんかは確実に病人でも障害者でもないだろうなあと思います。

毎日飲まないといけない薬があって、それを飲み忘れると即死…は言いすぎだけど、最悪そこまで行きかねないという病持ちではある。が、薬さえ飲んでいれば、普通に生活できる。という、特定疾患持ち。
それとは別に、様々な要因により突然走る全身の痛みとだるさ。特定疾患扱いにはなってないけど、確実な治療法も原因も解明されてない難病持ち。
他にも今のところ経過観察中の結構きっつい病気とかもあるけど、さくっと割愛。

ぶっちゃけ、症状さえでなければ普通に生活できます。
変な話、旅行もできるし、イベント参加もイベントスタッフも、結構ハードなところまではできます。
(といいつつも、私の病気を知ってる友人スタッフたちは、ある程度私の負担を軽減すべくフォローしてくださってるからできるという側面もあります。彼ら彼女らには本当に感謝しております)
実際に会ったことある人ですら、私がそういう病気持ちであると思われないんじゃないかなと思います。
というか、結構な数の人がマジで信じてないだろうね。その理由は自分自身にあるので、相手が悪い!なんて馬鹿なこと言う気は全くありませんが。

私自身はまだいいんですよ。コントロールできるといいますか、動けるときはできるだけ動く(その代わり動けないときはぶっ倒れてる)ってことが出来る程度だから。医者から言わせると病状はあんまりよろしくはないらしいんですが、この状態が物心ついた時からであったせいもあって(特定疾患や難病であるってわかったのが最近だったってのもある)、嫌な言い方だけど『慣れ』ってのもあります。
が、同じような病気を持ってる人からすると「アレは詐病だろう」と言われかねない程度に元気だし、こういう見えない病気が理解できない人からすると「病人ならあんなに動けるわけがない」となるだろうなあ。その結果「本当の病気持ちの理解を妨げる存在」とか言われかねないんだよねえと思っています。
……実際に影で言われたりしています。気にするだけ仕方ないんだけどね。

障害があっても普通に働けます。
でも、薬は手放せない程度の病気です。
障害があっても、趣味活動はできます。
でも、時々ぶっ倒れる程度の病気です。

すべての病人が、普通に働けないわけでも、趣味活動ができないわけでもありません。
それは、見えない病気、見えない障害であっても一緒です。

っていうのは、私自身は『当たり前の話』であり、生きにくい生きやすいという『区別』はあっても、『同人活動をしちゃいけない』という『差別』されることはないと思ってたんだけど。
差別反対主義!と言われる方にこの話をしたときに、「それは区別であり、やっぱ病人なら病人らしくしてるべきでしょう」といわれてねえ。
ちょっと首を傾げてるのは、私のアタマが悪いせいなのかもしれない。
(区別と差別の言葉の違いについては脇に置いときます。これについて議論をしても仕方ないと思ってるので) 

見えない障害、見えない病気持ち。
見えないからこそ、すぐ隣にいたりする「障害を告白できない人」が、苦痛を感じてるかもしれない。
そう言う人達になんかできるかって言うと、私なんかは自分のことで精一杯なんだけど。

少しだけ。楽に生きることができないかなあと、ネットの片隅でぼやくだけの何かです。
私が声を上げても、何かが起きるわけじゃないんだけどね。