内輪向けイベント、と揶揄される同人イベントが多々あります。
わりと、LTS(濱澤主催)も内輪と言われがちですが、なんていうか、主催側と参加者側で温度差が激しいと言われがちかなあと思ったりします。

内輪向けイベントは、新人さんが入りにくく、新しい風がこない、停滞しちゃう!なんて言われます。したがって、内訳向けイベント=よくないという意味で使われがちなんですよね。
まあ、わかります。言ってる意味は。


……ただまあ、内輪とは何か?を考えると、内輪向けじゃないイベントって無理ゲーなんじゃないかなあと。

 
内輪、身内だったり顔なじみの知り合いだったり、そう言う人を指します。
主催を基準に、主催の顔なじみ(=内輪)だけのイベント、という意味ならば、まあたまにありますけど、そんなに数は多くないと思うんだ。

内輪って、結局誰かを基準にして身内だ顔馴染みだって考えていくわけなので、誰を基準とするかによって内輪か内輪じゃないかって変わっていくと思うのよね。
よく考えてみてくださいよ。サークルは主催のことを知らなくても、顔なじみの友人(=身内)が参加したら参加します!って感じでしょ?一般参加者も顔なじみの友人や知り合いが参加してたら参加しますって感じでしょ?
そんな風に線をつなげていくと、主催とは直接線がつながらなくても、どっかで1本につながっていくのですよ。その中間に何人挟んでるんだって話になるけども。
さらにいうと、そんな感じでつなげていって、誰ともつながらない参加者こそが真の「新しい風」だと思うんですけど、 多分そんな人が登場するイベントは超レアケースだと思います。みんなどっかでつながっていく。誰かの身内として。

更にいうと、顔なじみになったら内輪っていう暴論を展開すると、交流の多いサークルや主催さんには、大量の内輪が形成できてしまう。初めてさんでも主催が声をかけて仲良くなったらほら身内!みたいなことをやってくと、あっという間に身内じゃない人を探すほうが大変になっていきます。

というわけで、個人的には身内だどうのこうのって話はナンセンスじゃないかなと思います。
……この理論で行くと、身内向けじゃないイベントは「主催はぼっち」って結論になりかねないし(哀。


身内向けイベントってのを批判の意味で使われるイベントって、要するに「企画に参加した者勝ち」とか「イベントとして交流をしないと見てもらえない」とか「サークル常連ほどたくさん売れて、新人さんは殆ど見てもらえない」とか、そう言う話だとおもいます。ある意味「格差社会」ですね。
実際のところは、企画にたくさん参加しようが、交流をたくさんしようが、イベント常連になろうが、売れない本は売れないものですが(ぁ、なんか「新しい人が来ればうちの本見てもらえる!」って希望があるからねえ。
人によって評価はわかれるとはいえ、居心地の良さを求めて参加する人と、本がとにかく売れることを望んで参加する人、同時に成立するイベントってのは、なかなか難しいんじゃないかなとおもいます。
ほら、お友達とか常連さんだけが買って行ったら、その時点で内輪にしか売れてないことになるしねw

新しい風を吹き込むって、簡単なようで割と難しいです。新しい風のつもりで声掛けしたサークルさんが、必ずしも新しい風になるとは限らないし。理想論ではあるけども、あくまで理想だよねと。特にオンリー系統はすべての参加者の顔ぶれが固定されがちです。うん、だって、それが好きな人!って定義作ってるからねえ。

それでも、内輪向けになりたくない!新しい風を吹き込むんだ!って場合。
まず、別系統のイベントに参加し、そこで知り合った身内をこっちのイベントに引きこむことで…とか、くらいしかないんじゃないかなあ。そして、それが出来るのって主催というよりは「サークル」なのよね。



私は、内輪向けイベント、ありだと思うけどね。
そこに居心地の良さを感じてる人が少なからずいるって証拠でもあるから。
#私自身がサークル参加するかどうかは別の話だけど。