都知事選。地方在住の自分としては正直いって何もやることできないわけでして、ただぼーっと眺めるしかないんだよねという歯がゆさがありますが。当の都民としてもガチャと揶揄される程度にめんどくさいのがわかるにつけ、本当に切ないよねというマシーンと化す今日このごろいかがお過ごしでしょうか(ここまで挨拶。

誰がいいかとか誰に投票すべきかということに関しては、私は皆さんで考えてくださいとしか言いようが無いのですが、気になってることがありまして。

とある立候補者が、コミケを守っていきましょう!的発言をされた件。
この方が、それまで表現規制派と目されていた方でして、何の風の吹き回しなんだ?…までは良かったんですけど、一部の方々が「あれは嘘だ!コミケを守るだけでエロの規制はきっちりやる気だ!ダマされるな!」活動を展開されているという、これが選挙運動的なやり取りならいいんだけどそうじゃないんだよねという話。

あ、はい。
疑うのは分かるよー。過去の実績(?)からしても、過去のいきさつ(?)からにしても、疑うなってのは難しいよー。
そこはわかった上で、ちょっと書くよー。 

表現規制って、端的にいうと「私が嫌いなものは法律で禁止すれば綺麗になる」ってことなんですね。
で、そんなことをやってると、すべてのものが法律で禁止されますよってのが、表現規制反対の本質なんです。
悪い作品いい作品なんて区別は決める人のさじ加減で全部決まるから、人が変わるたびに悪い作品が変わっていく。その都度規制して行ったら、何もできなくなるんですよー。あなたがいいって言ってる作品も規制される未来が来るんですよ規制ってのはー。だから、そういうのやめましょ。好きか嫌いかだけ言い合えるようにしましょうよ。
ってのが、表現規制反対の言い分(のはず)なんですね。

では、表現規制派はそれを知った上で規制を推進しようとしているのかというと。

……人によるとは言いつつも、大多数はそうじゃないっぽいのよね……。

表現規制派の考えというのは「世の中には人を悪魔に染めてしまう作品がある」「私が不愉快と思った作品は、他人も等しく不愉快になる」「それをなくす(規制する)ことで平和な世の中が訪れる」なわけですが、根本的に「全ての人にそんな影響を与える作品などない」「誰かが悪に落ちる作品だと言い出したものを規制すると、ありとあらゆる作品を規制することになる」という事実を知らないことが多いのです。
無知で政治をするなモノを言うな!という気持ちはまあ分かる。
でもさ、そんなもの人間だからよくやりがちなことじゃないか。
私個人としては、いくら規制派でも、話し聞いてくれそうな人に実はね、これはね、こうなんだよとか説明することで考えが変わると思うのです。
ただし、それなりの立場もなく、普段石投げてるだけの人の言葉というのは、誰も聞きやしません。
それなりの立場な方が説明することで、ようやく理解してもらえることも多々あるのです。

あれよ。
イベント主催やってる私の話をどれだけしてもみんな信じないけど、コミケ主催が同じ事言ったらみんな信じて行動するでしょ?
それと一緒よ(大暴言。 

なので、批判と暴言を混同して相手に石を投げつけることが批判だと思ってる人の話はまず聞くこともないし、そもそもそんな人を何とかして罪人に陥れて消し去ろうと思う気持ちはものすごくわかるので、すべての皆様に於かれましては、事実は事実を述べるのはいいとして、単なる石投げ合戦になってるぜ?って自覚したほうがいいんじゃないかなと思います。
……わりとそれなりな地位とか影響力のある方も石投げ合戦やってるので(まあ元々石投げ合戦しかできない人なので仕方ないのですが)、それだとどちらかが全滅するまで終わらないのでやめてほしいなあと思うのです。はい。

ロビー活動というか、さ。
直接会って説明するのって、割と重要よ。
見えないから知りようがなく、ただ攻撃のみを実感するって、いい悪いは別として恐怖でしかないからさ。


……それはそれとして。
もう一つ気になってることがあります。
表現規制反対派の言い分の中にこういうのがあります。

「ある作品で人を殺したくなるとか犯罪起こしたくなるとかってものがあるわけがない」

……うん、確かにそうなんですけどね。

これね。本当は違うと思うのです。
人間は、人間が創りだす全てのものに影響されると思うのです。

人間が創りだす全てのものってのは、なにもエロ漫画やゲームだけの話じゃないんですよ。ありとあらゆる漫画もゲームも小説もアニメも、ドラマも映画もバラエティ番組もニュースも、音楽も詩歌も影響受けるんですよ。
それだけじゃない。人間が創りだす全てのものに影響するってのは、インターネットもそうだし、街並み、公共交通、公園、学校、その他公共設備、民間会社、ありとあらゆる道具、そして人間が最初に創りだしたものである「人間」も、影響するものなのです。
もちろん、どう影響するかはわからない。同じものを見ても、ある人にとっては幸せな気分になり、ある人にとっては憎しみを覚える。それが影響というもの。
そして、すべての人間が「憎しみや間違った考えを覚えない」「人間が作りしもの」は、 100%存在しない。
あなたがいいと思ったものが、みんないいと思うわけじゃない。

……表現規制反対論としては、そこからやるべきだと思うのです。 
表現規制反対論の人でも、気に食わないものがある。
こんな「創りだされたもの」があるから不幸になったと思っているものがある。
規制側のように「自分を不幸にするものを消したい法律で規制したい」と言いたいけど、それをいうとすべてのものが法律で規制されることを知っている。
最悪、表現として消されるのは自分自身になるかもしれない。
だから、規制するのやめませんか?順番がどうなるかの話だけで、あなたの好きなもの、無くしたくないと思ってるものが、次に規制されますよ?それが表現規制なんですよ?

……というふうに説明すべきなんじゃないかなあと、思うのです。 
表現って、見た人が何らかの影響を及ぼすから「表現」だと思うのです。単なる思想だけでなく、目で見る、耳で聞く、鼻で嗅ぐ、舌で味わう、手や足で触れる。そうやって感じるものすべてが「表現」だと思うのです。

もちろん、自分も嫌だなあ、あんまりオープンにするもんじゃねえなあと思う表現方法はありますよ?
(その話、次のブログでやりたいですが)
それ見て影響された良くないこともあるだろうなあと思うことはある。
ただ、同じものを見て良い影響を与え、その人を救うことになったというのも知っている。

だからこそ、「エロだけじゃない、すべてのありとあらゆる表現は、全ての人に影響を及ぼす。ただし、影響の及ぼし方は人によって全部違う」って線で話をしてほしいなあと思うのです。

……相手を批判するのはいいけど、否定しちゃダメなのよ。それが、表現ってものだと思うので。
割と過激な表現規制反対派を見てると、この人達も見方が逆なだけである意味規制派(規制するものが違うだけ)なんだなあと、時々思うのです。
そういうこというと濱澤ふざけんなお前も敵か!とか言い出すので非常に困っておりますが。 


表現規制がなぜ起きるかを考えると、古代の「世のTOP(長老とか朝廷とか)が「俺の言うこと聞かないとこうだ!」と見せしめ的に行う」ってのと実は変わらないので、正直いうとエロ以外が槍玉に上がるのはその時の政府の気分次第だと思うのです。
……まあ、なんで表現規制と言ったら必ずエロが槍玉に上がるのかを考えると、古今東西だいたい原因が2つか3つくらいしかなくて、実は表現そのものは関係なかったりするので。って話はガッツリ調べてまとめておきたい所存でござる。