「もうアイツほんと頭おかしい!最悪!絶対あれアスペよ!」
みたいな、他人に理不尽な目に合わされた人の愚痴を聞く会を不定期に開催せざるを得ない状態と化している濱澤でございます。おはこんばんちは。

いや、まあ。なんといいますか。
予想外の行動を取ったりする人ってたしかにいるんですよね。
もちろん、不利益を被った側の行動がおかしいパターンも散見されるので、安易に「アイツが悪い」みたいな決めつけはよくないのですが。

で。
そういうときに「あれはXXだ」みたいなレッテルや病名をつけることってありますよね。
私はそういう言動って好きじゃないんですけど、まあつけたくなる気持ちはわかります。

レッテルつけると、落ち着くんだよね。
相手は自分とは違う世界の人間だからって。

 

相手は自分とは違う。

よく言いますね。そして、たしかに自分とは違う人間であり、育ってきた環境も違うから好き嫌いも否めないわけです、ハイ。夏がダメだったりセロリが嫌いだったりエロが嫌悪の対象だったりってのは、天下のアイドルも歌ってる程度に当たり前の話なのです。

とはいうものの、違うならば全く別の生き物であって欲しい、それならば別だと考えられるのに!と思うもの。
理由がほしいのです。「違う」理由が。
そんなときに便利なのが「病名」だったり「レッテル」だったりします。

オタクだからってのも、レッテルの一つです。

で、だ。
レッテルを貼るって、悪しざまに言われがちなのですが、「こう言うカテゴリの人だ」というカテゴライズそのものは悪いことではないのです。
レッテルを貼ることの問題は、貼ることで「相手を叩いても良いという免罪符を手に入れた」と勘違いしちゃった人が「実際にレッテルを元に悪意を持って叩くこと」にあります。
区別の差別の違いみたいな話にはなるのですが…。

男か女かってのは、区別です。
男だから、女だからこうすべきこうしろってのは差別です。
……という話がわりと通じないので困るのですが。

何らかのラベリングカテゴライズといったレッテルを貼った上で、生き方や行動言動を強制するものが「差別」なのよね。無意識の悪意とも言う。悪意がなければ、それはただの事実である。
時々「事実じゃねえか何が悪いんだ!」と切れる方がおりますが、そういう方に限って中途半端に主観による無自覚な悪意と強制力が入っているのでございます。これはどう説明しても通じない。無自覚といいますか、「強制することが当たり前」という考え方になっているのでどうにもならん。 

でね。
こういうのやめましょう!みたいな記事があるじゃないですか。
そういうのを読んで「あ、私もやっちゃってるかも…直さないと」って思うじゃないですか。
思うけど、全く違うシチュエーションになると当たり前のようにやっちゃう人が多いのです。
そこで言われてないカテゴライズの件だと、当たり前のように差別し批判しちゃう人って多いのです。
やってしまったものは仕方ないし、そこで反省して気をつけようって人はいいんじゃないかなと思うのです。にんげんだもの、繰り返し失敗することだってあるさ。

気づけないし、自分は差別したことないし、レッテル張って悪意をぶっ放したことがないと思ってる人が一定数いるのよな。
むしろ、こういうレッテルを貼って他人を叩く行為について「何も間違ってない、ただの区別だ」と言い切る人がいるのです。
怖いよねえと思うのです。
自分に対し攻撃が来なければ平和ではあります。こう言うタイプの方たちって、レッテルを貼る対象でない方たちに対しては非常に優しかったりするので。

という状況を多数見てると、「何らかの病名つけたほうが楽だよなあ…精神的に」と思うのよね。
病名というか、症候群というか。
心理学的に、精神学的になんらかの名前をつけると安心するよなあと思うのです。自分の心が。

けれど、そういうレッテルを貼った次の瞬間に訪れるのは「区別」じゃなくて「差別」の心であり。
差別に変わった瞬間、相手を叩くためにレッテルを利用するということがわかっており。
……一種の防衛反応ではあるんだけど、そこから差別が始まって、最終的に戦争になるのかなあと思うにつれ。


生きるのって難しいよねという愚痴会を開くのがせいぜい出来ることなのかなと思うのであります。