久しぶりのブログがこれかい。というわけで、復活できているのかどうかかなりあやふやですが…。

こんなツイートを見かけまして。


……フィクションの萌え絵は女性や子供が極端にステレオタイプされていて、「当事者」がクレームを出す権利があるというご主張。
ここでつぶやき主の考える「当事者」というのは「女性や子供」ということなんだろうけど、困ったことにこの手の創作物に実在の人物でのモデルはいない。故に「非実在青少年」という言葉が作られたわけなんですが、どうもこの概念、一般人は正しく理解してないんじゃないだろうかという疑問がふとわきまして。
例えば「理想の女性を描く=その理想の女性なるものはどこかにモデルがあるはずだ、じゃないとそんな理想など思い浮かぶわけがない」というのがこの手における話のややこしさで、これ、実際に創作している人間だと「理想はあくまで理想であり、特定のモデルが居るわけじゃない」、同様にいわゆる萌え絵も「創作の産物であり、誰かがモデルでいるわけじゃない」ってわかるんだけど、一般の人はそうは思わないらしい。

という点を踏まえて、少し前に母と話した話題から、この件について考えてみる。


うちの母は元画家(油絵)(本人は趣味だと言い張ってる…)なんだが、母曰く、
「私は見たものをそのまま描くことしか出来ない」
「更紗ちゃん(私のこと)は何も見ずに0から描き上げるから、私よりもすごいと思うの!」

……ごめん、母上。私も流石に背景とかは参考資料がないと描けないものです……。
は、ともかく。

 自称:普通の人ってのは「見たものを描く=創作」だと思ってるフシがあるそうで。
「想像の産物を描く=創作」と考えないそうなんだ。で、「見たものをデフォルメして描く=創作の個性」だと思ってて、何もないところから描きあげているとはこれっぽっちも思わないんだそうナ。

あ、えっと。
流石に全くの0の状態から描ける人はそういないと思います。今までの人生の中で出会ってきた人や創作物からあれとコレとを継ぎ接ぎしてって、さらに自分流にアレンジして…ってのがキャラデザインだったりイラストだったりすると思うんですが、特定の実在する人物そのものをベースにってパターンは(少なくとも萌え絵では)皆無だと思うのです。
ところが、普通の人というのはそうは思わない。「なにかモデルがあって、それのデフォルメが萌え絵である」なんだそうな。

この辺、何が原因か少し考えてみたんだけど、一つは「一般の人が書いてる現場に出会う絵を描く人が「似顔絵描き」さんばかりでは?」もう一つは「絵画(美術)においては写生(=見たものを描く)ベースのものが多いからではないか?」かなと思うのです。
似顔絵画家さんも、写生画家さんも、みんな「見て描く」。そこにデフォルメとかアレンジとかがあるとしても、基本は「モデルになった人や物の特徴を掴んで描く」わけで、それはそれで必要な技術であります。
が、美術絵画でもそうなんだけど、必ずしも見た風景をそのまま描くわけでもないし、全くの架空の世界を描く美術絵画もあるわけです。もっと言えば抽象画に至っては何を見て描いているのかすらわからない。あれは形のないものを絵という形にしようとしているわけで、モデルがないケースもある。
なんだけど、一般人というものは、なにか絵として描こうと思う=モデルが有ると思うらしい。
(故に抽象画を「下手くそ」「子供でも描ける」「意味わかんない」とか言うわけですが、あれは「考えるな、感じろ」の世界なのでなあ…私も紫1色に塗り上げただけ(?)の抽象画をみて「意味を考えたら負けだ」と思ったし)

というわけで、萌え絵…というか漫画やイラストに「誰かしらモデルが存在する」と思うのは、一般人的には普通なんだそうな。創作とはモデルをアレンジするものというところで止まっているので。
このブログを読んでいる人ならば、(あの要素とこの要素をつまみこね合わせ…という意味のモデルはあるかもしれないけど)特定のモデルが創作物に居るわけがないとわかっているとは思います。

このギャップを埋めるためには何が必要かと考えると、マジレスで「幅広い教養(今知ってることが全てと思うな)」とか、「異文化思考観察」とか、割と難しいことを言わざるを得ないわけで、正直それをやれ!というのは無理だと思うのです。これはいわゆるオタク側にいる人たちに対しても言えるわけですし。あと、「XXってちょっと私に似てる―」的会話文化も非実在青少年が実在青少年に感じてしまう原因じゃねえかなー(逆に言うとそのくらい日常に溢れた存在になっているとも言う)。

とりあえず言えるのは、「相手を批判するだけじゃ全く解決しないよね」ってことで。

いわゆる萌え絵を「女子供を馬鹿にしている男たちの絵」と言い切る人もいるのですが、萌え絵を書く人が必ずしも男性とは限らず、女性の方が多かったりするのよね。と書くと「それは男に媚びるためだ!」とか言い出すわけで、どんどん収拾がつかなくなるわけなんですが。

……根本的な問題として、萌え絵がなぜ悪いのかというのは、本来「青少年の育成に問題があるから」とされたからで、大人が見て「侮辱的!」っていうのは、大人なんだから見ないようにしようよ、「自分の子供が―」って人は親が見せないようにすればいいんじゃないかしら?で終わる話なはずなんですよ。で、萌え絵とかセクシーな衣装とかは80-90年代アイドル衣装の十八番だったし(昨日見たミュージックステーションでやってた(当時の)ピンク・レディーの衣装が問題の絵より布地が少なかったんですがそれは)、そういうので育ってきた世代が今現役でイラストや漫画を描いているわけで。
(なので、最近のアイドルの衣装が布地多めになってきたので、表現の萎縮とは別に今後布地多めな女の子が萌える!系イラストレーターや漫画家が増えるかもしれない)(でも逆に「普段きっちり服でガードされている女子のほうが性的感情を刺激する」「水着とかビキニとかは全く性的感情を刺激しない」という世の中になる可能性もあるわけで、それはそれでどうなのかと思う私もいる…)

ちなみに、この手の話は「双方が相手の意見をちゃんと聞いて、相手の意見を考えて、その上で無いと相互理解など不可能」と思っているので、叩き合ってるうちはまず解決不可能だし、どちらかが相手の話を聞き入れる準備ができても、もう一方が出来ない時点でも解決不可能。
これが割と役職や権限を持った人達同士だと相手の話を受け入れる余裕があったりするものなんだけど、その余裕を普通に生活している人たち(オタク系な人たちも含むよ)に求めるのはまあ難しいので……。生活の質が向上してるとは思えないしねえ。オタク系も抑圧されていた(過去系か現在進行系かはさておき)のでそのへん余裕がなくて喧嘩っ早いしねえ。

世の中の不満を叩きやすいものに対してぶつけることで、自分は正しいと思わないとやってられない人達も多い上に「オタクは下層民から上流階級に成り上がった」と思ってる人も多いので。
(男性嫌悪の象徴としてのオタク叩きもあると思うけど、そこまで混ぜるとややこしくなるので省略)
なんていうか、人のこと全く言えないけど、結論のない喧嘩はふっかけないほうがいいし、感性によって評価が分かれるものについては評論的立ち位置とか論じ方とかを全く学んでいない日本人はやらないほうがいいと思うんだよねー……と思うのです、はい。

あと、必ずしも実在する人間のモデルがあると思わないほうがいいよ!くらいかしら。
妄想は非実在のものを多数生み出すものだし、それは萌え絵に限らず昔から芸術分野に置いて多数存在するものですから。
(神話とかも非実在生物ですからね……この間「古事記に書かれていること全部現実に存在したことだ!」とか「竹取物語も富士山とかでてくるから実在した話をもとに書いてるんだ!」とか言われたので「じゃあ源氏物語は?アレのモデルは誰?」と聞いてみたところ「藤原道長に決まってるだろ!」と返されものすごく困惑している今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか…)